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私の余命はあと半年ですが、みなさんは、あと半年の命と知ったら、何をしますか??

実は先日、余命が半年と医師に宣告されました。
肺ガンです。

妻にも、自分には告知してほしいと言って、一緒に乗り越えようと決意しました。
しかし、診断結果はもう長くは生きられないとのことでした。


末期ガンの人間が死ぬまでには、5つの段階があるみたいで、最初は否認。『俺はそんなはずはない!!』って打ち消すみたいです。
次に怒りがやってきるみたいです。『なんで俺だけが・・・』って。
そして、取引。もし奇跡が起きるなら・・・・。神頼みです。
そのあとに抑鬱。気力を失ってしまう。
最後に受容。自分の運命を受入るしかないって、気付きます。

僕はいま31歳。若いせいかガン細胞が増大するスピードが早く、見つかったときには手遅れでした。

かといって、今は、ある意味、達観?まぁ、家族のためになにができるか・・・ということを念頭において余生をすごしています。
子供2人いますし、家族には申し訳ないですが、自分のいなくなってしまう前になにかできることをしてあげたいのです。


そこで、それって結構難しいことに気づきました。
入院はしていなくて、余生を楽しく選ぶことを選びました。
気を失って死ぬのではなく、苦しみとともに家族とともに旅発ちたちと、望んでいます。

こんな状態で、みなさんなら、何をしたい!!!!って思いますか??

いまのところ、体の微熱は続いていますが、調子はいいので、色々したいと思っています!!!!





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回答1

高1の冬に父を肺がんで亡くした、25歳・女です。

生まれ変わっても一緒になると約束したから寂しくないよと教えてくれた、仲の良い両親でした。

ホスピスに入りましたが普段と変わりない姿でした。余命に関わらず冷静に普段と変わらず過ごす姿が私にはかっこよく思えました。

病気が進行して痛みに苦しむ姿は悲しかったです。余命半年と言われ3ヶ月で旅立ちましたが、私にはあんなに不安と悲しみに満ちた日々があれ以上長く続くのは耐えられたかな?と思います。

父と母のような深い愛で結ばれた恋愛結婚がしたいです。母は明るく元気に福祉関係の仕事を続けて20年以上です。年子の兄は大学出て就職して来年結婚です。

無念と仰っておられますが、「亡くなる」ということは、何も返せないように、何も残せないように、悲しい出来事に、見えて、残された側への存在感はとても、大きく、沢山の「幸福」を与えてくれると思うのです。
命の尊さや生きる意味や人生の目的や人との繋がりや生きている奇跡、高校生の間そんなことばかり考えていました。

私は、エステの国際ライセンスをとり、人を癒し未病を防ぐセラピストの仕事をして6年目です。エステは、病気を治すことは出来ないけど、人の心身を癒し未病を防ぐことができます。提供者も利用者も、美容や贅沢を目的としている人ばかりではありません。

私は、病後の写真や映像は、いらないかな。悲しくなるから。励みになる手紙なら力になるでしょう。

あとは、愛してくれる貴重な1人を亡くしてしまうのだから、何十年先も愛されている証が分かる…なんだろう。なにかがあれば強く生きられるんじゃないかなぁ。

それから1日何回も温泉に入り体を温めると、良いみたいですね。

神様はみていると思います。不幸も幸せのうちって本当だと思います。

あなたとご家族が愛に満ちた心穏やかな日々でありますように。


回答2

すごい勇気ですね!!一生懸命生きようとされてる気持ち私にも伝わってきます!!自分の思いなど手紙として残しておいてはどうでしょう。あなたの思いはずっと家族の励みになるとおもいます。あとは残された人生は頑張りすぎず今までのあなたでいいと思います。ひとつひとつの日常的ななんでもないことに幸せを感じながら生きてください!!

回答3

私の父も胃ガンであと余命半年だと言われてます。
でも、今は色々たいせつなことについて考えられないですね。重いからこそ、受け止められない。
現実逃避してしまうだけな気がします。

まだ17年しか生きていない私が言うのもアレですけど、
生きた年月に関わらず、最後に倖せだと思えれば、どんな形であっても それはほんとの倖せなんじゃないかなぁと思います。


回答4

残された時間に何をしたいかというのは…私にはあまり思い浮かびません。
けれど本当に大切な方々と一緒にいられるのならどこにいようが何をしようが楽しいんじゃないかなと思います。

神様…か。
もし貴方の状況を知っていて見てみぬフリをしているならば、なかなか残酷な人ですね…。

神様に届けと念じつつ、
貴方と家族や友人達が笑い合える時間が少しでも長くなりますように、
願わくば病気など消し去ってほしいと祈りたいと思います。

質問の答えになっていない駄文ですみません…。
貴方や貴方の大切な方々に幸せが沢山降り注ぎますように。


回答5

お子さんにむけて手紙を書いてみてはどうでしょうか?
後で少しずつ読んでもらうための手紙。

お父さんが急にいなくなってしまうのは子どもにとってとてもつらいと思います。

それから、家族で沢山の思い出づくりをしてほしいです。

それと、私が子どもの立場なら、病気のことも話してほしいです。

もし知っていれば、後悔のないように、一つひとつのことも大事にすることができるから。

病気も、色んなことを楽しんでいたら進行が遅くなることもあるそうです。

少しでも質問者さんが長く元気でいられるのをお祈りします。


回答6

私は、13歳の時に、ある日突然母親を亡くしました。

お子さんがおいくつなのか分かりませんが...

私は、思い出をたくさん作りたかったです。

「写真は形に残るから…」と言う方もいらっしゃるカモしれませんが、

時間が経てば、良い思い出として振り返る事が出来、亡き母と会えた気すらします。

だから、旅行やショッピングでも、写真におさめて、思い出をいっぱい作ってあげて欲しいです!!!


回答7

同年代で幼い子供が二人おり、いても立ってもいられず回答しました。

急な宣告に心乱れながらもご家族を想う気持ち、大変重く心に響きました。

三年前に家族を癌で失いました。ご本人には後悔しない生き方を、家族は支えるより「一緒にいる」ことを目標に日々大切に生きていただきたいです。

他人の私が差し出がましいようですが、何か出来ることがあればどうか教えてください。

こうしてご縁があればこそ、お役に立てることがあれば…


回答8

すみません、家族側からの気持ちを申します。

先月19日、父を亡くしました。
75歳なので、貴方とは比較出来ません。
ほぼ、人生を全うしつつあったと考えます。

私にとっては、最高の父でした。
私の人生の節目には、必ず父が適切な方向へと導いてくれました。

肺ガンでした。
脳に転移し、認知症の様になりました。
余命3ヶ月〜半年と言われ、4ヶ月で逝きました。

母は毎日、病院に通いました。
私は休みの日に、母を迎えがてら、父の顔を見る程度でした。
最後は、母、私達子供と、沢山の孫に囲まれて逝きました。

父を亡くしてから、毎日、喪失感に押し潰されそうになります。

今思うと、あっと言う間の4ヶ月でした。

もっと、沢山の時間、父の傍にいれば良かった。
私の人生のうち、4ヶ月を、仕事なんかブッチして、父との時間を過ごせば良かったと、毎日後悔しています。

やりたい事が出来るうちに全部やって、家族と一秒でも長く一緒にいる事が大事だと、私は思います。

貴方は、私より10歳も若い。
スキルも高く、出来る事ならば、もっと永く社会の一員として、頑張って欲しいと思います。


回答9

病気はほんとに突然ですね。あたしの母もガンで亡くなったのですが、母も最初は余命3ヶ月と言われていたらしいです。 まだ子供だった私は知らなかったのですが…

なにをすれば、なんて私には分からないけど、もし私の母が生きていて、あと3ヶ月だと知っていたら、まず、たくさんの写真を撮りたいと思います。なんでもいいのです。写真屋さんとかにいかなくて例えば散歩にいったときとか。
私は少ししか撮ってなくて、だけどそれがいまでもあたしの支えになっています。
あと、私はよく旅行に行きましたよ。母は支えなしでは歩けなくなっても、近くの山だとか海とかに遊びに行きました。

大変なのはわかりますが、いつでも笑顔でいれたらそれがなによりも最高ではないでしょうか?


回答10

質問を読んで心が苦しくなりました。
私は貴方に何もしてあげられません。けれど、この質問には答える事はできます。

二ヶ月前、大切な友人の家族を亡くし、先月は父が倒れあわや…という状況でした。
その時思ったのが、どんな些細な事でも良いので、家族と沢山話しをして欲しいという事です。
今日あった事、昔話、なんでもいいです。貴方の事を話して欲しいです。そしてそれを共有したいです。
父が倒れた時、泣きじゃくる母の背中をさすりながら後悔しました。もっと話しをすればよかった。もっと一緒の時を過ごせば良かった。
数年前に亡くなった大好きな祖父の時も、全く同じ事を考えました。
いきなりの別れ。後悔は一生続きます。繰り返しの毎日の中でそれに気付くのは難しいでしょう。

沢山、話して下さい。
沢山、一緒に居て下さい。

そして沢山、貴方の事を家族に伝えて下さい。
お願いします。




回答11

子供の立場から してほしかった事を…父は余命2ヶ月宣言され、3人の子供達に 各産まれてからの父としての手紙、毎日 病院では、ノートに思った事を書いたり 写真ビデオでしたが、今 思えば、困難にぶつかったり、人生の節目に一番喜んだり、応援してほしかたので、いつも持っていられるお守りが欲しかったです!!

手渡しで!もらうことが出来なかったので、納骨の時 肩に入れていた、ボルトを拝借。

いけないのですが、お守りとして、いつも力に!自分のルーツそして、いつも見方でしたから!

余命2ヶ月でしたが、若かったので 2ヶ月頑張り家族と過ごしてくれました!!

いきる力は子供の笑顔と言ってました!!
日々 穏やかに過ごして下さい!!

父はいきなり2ヶ月を受け止め悩みもしませんでした!?
早速 やりたいことどんどんやってました!!

やりたいと思った事をやってくださいね!自分のペースで神様は、見てます!


回答12

叔父が去年亡くなりました。
従兄弟達は大学生と社会人になっていましたが、まだ親孝行ができてないと泣いていました。
心筋梗塞でいきなりのことで…

従兄弟は顔を忘れないようにと、冷たくなった叔父と一緒に何枚も写真を撮ってました。
でも、もう笑うこともない叔父…
留守電に入った数秒のメッセージを何度も聞いていました。
火葬場で、泣きじゃくりながらスイッチを押した姿は忘れられません。


どうかご家族と沢山の思い出を作ってください。
写真やビデオもこれでもかというほど残して下さい。
笑って送ってもらえるように、準備してあげて欲しいですが…
笑って送るなど、無理でしょうね。


回答13

私は今 見送る側にいます。ただ義母なので、旦那や義父に後悔が残らないような方法を探してます。色々本を読んだり、体験者の方のブログを読んだり…

自分の病気を受け入れて、何らかの形を残したいと思える方は全体の極僅かだと知りました。そして見送る側も同じようです。

質問内容と違うかもしれませんが、生きていた証拠とでも言うのでしょうか、何らかの形を残して頂いてる方々も見つけられないままが多かったように思います。正しく言うと、証拠よりもその時を家族と過ごし、療養者側も介護者側も悔いがないようにする事が大切だと感じていると思いました。


私は、義母と多くの時間を過ごした訳ではありません。結婚式の次の日に余命1年と家族で聞かされました。ただ旦那にも義父にも、義母にやりたいと思った事ができるように 経済面でも精神的にも応援していきたいです。(今もしていますが、十分ってないのでまだまだです)
それは義母に対してもです。


質問者様も何かやりたい事、言いたい事、今までの感謝、見たい景色、食べたいもの等々 少しずつしてみてはいかがでしょう???
後は家族も質問者様と同様に何かやりたい事があるかもしれません。それを受け入れて頂ければ、家族は将来悔いが残らないのかもしれません。

質問意図と違う 自分が感じた事を書いてしまい申し訳ございませんでした。


回答14

私も31歳で、娘が二人。現在、妊娠中です。

幸い今のところ健康ですが、先日、同級生が事故で亡くなり…突然命が消えてしまう恐ろしさを実感しました。

私も突然死ぬ時がくるかも…と思って始めたのは、娘達の写真を整理しアルバムを作る事です。
写真の横にコメントを書いたりして、見た時に私の気持ちが伝わるような物を作っています。

あと、20歳までのバースデーカードを書いています。
そのカードを実際に渡すかは、まだ分かりません。
でも、毎年娘が成長する姿を想像しながら書いています。

以前、テレビで拝見した海外の女性ですが、余命宣告をされてから、子供が20歳になるまでのバースデープレゼントを用意している方もいました。

ビデオレターも素敵だと思います。

お子様の分は奥様にお願いするとして
奥様には、他の方が書かれてるような後々配達される手紙や、ビデオレター、これからの日記を残されてはいかがでしょう?
これから先、必ず心の支えになります!

初めてコメントするので…取り留めもなく、思いつくままの長文で申し訳ありません。

少しでも長く、ご家族と過ごされる時間が穏やかであることを祈っております。

回答15

私の恋人もあと少しの命です。
宣告された月まであと1ヶ月です。
もういつ死んでもおかしくないような状態です。

彼女も入院して延命治療受けるくらいなら
自分のやりたいこと思う存分やって死ぬ
といってました。

私の立場、延命とどっちがいいのかすごく悩みましたが、
最終的に彼女の気持ちを汲み取って
彼女のアシストをしています。
当時は遊びも少々、ただ働きまくってましたね。
やりたいこと、行きたいところを
一つずつ叶えていきました。

今はもう病院で寝たきりですけど、
毎朝起床して私を見るたび

「よかった。今日も生きてる。」

この一言で毎日涙がこぼれそうになります。
時には薬の副作用で体調を崩し、

「もう辛い。何の為に生きてるの私」

朦朧とする意識の中で私の手をとり
首を絞めさせようとしたこともありました。

神様はいると思います。
ただすごく意地悪なんです。

でも彼女は言います。
「神様は乗り越えられる試練しか与えない」
「だから私は乗り越えられる」
死が迫ってる人間から出る言葉ではないです。

最後に。
「生きる事は呼吸することではない。行動することだ。」
これはルソーの言葉ですが、
この言葉通り「生きて」欲しいです。

たくさん笑ってください。
大丈夫。
神様は乗り越えられる試練しか与えないのですから。



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