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余命3か月から1年半素敵に生きたお母さんの闘病記(続編1)

闘病記 前編はこちら

2月19日 入院治療開始日が決定
尿検査を持って、病院行ってきた。

21日金曜日から、入院し、抗がん剤を始めることになった。

はぁぁぁぁぁ。ついにきたか。

正直、怖い。
みすみす具合が悪くなるの わかってて、点滴するなんて。
怖い。怖すぎる((((;゚Д゚))))

(中略)

首のリンパがたまに痛む。
我慢できないほどではないが 悪化してることを感じる。

抗がん剤で小さくなるかなぁ。 なるといいなぁ。

2月22日 抗がん剤 副作用なぅ
13時半から点滴開始。
全部で5パック!
ただ、そのうち抗がん剤入りは 2パックのみ。
噂のイリノテカンとアクプラ

22時終了。
ここまでの間にできた事

病室で隣り合わせになった 年の近い女性とお話。

ファミマでお買い物

夕食完食!

トイレ多数(ちっちゃい方ね)
これは、なるべく水分をおおくとって、
体内の薬を出してしまった方が副作用が少ない事が多いと聞いたため。
あと、点滴でもいっぱい水分とってるので、出る(笑)

ここまでの実感できた副作用 汗が出る。
たいして暑くないのに 一人、汗かいてる。
着替えたいレベルだが、点滴してるので、終わるまでガマン。

以上

22時以降、点滴はずしていただき
今の私に起こってる事

倦怠感。恐ろしいほどの重さ。
結局3時間少し寝ることはできたけど、
起きた瞬間、体が重くて起き上がれない。
ベッドに打ちつけられてる感じ。
重力がね、10倍くらいかかってる感じ。
必死の思いで起き上がり壁を伝ってトイレへ。

少しの吐き気。
ガマンできない程ではない。
多分、事前に飲んだ 吐き気止めの薬が効いている
と思われる。

恐怖だった下痢の兆候は
まだない。

点滴投与中、ほんっとに元気だったので、
ん?私、結構いけるんじゃ?
なーんて考えてたけどそんなに世の中甘くない!

副作用っていうのは、
翌日以降に強くなり、
なんと、2,3日以降がピークなんだって!Σ(゚д゚;)

だんだん吐き気強くなってきたよ。

この試練に耐えなきゃなぁ。
副作用あるって事は効果も出てきてるって信じたい。
そうじゃない事はわかってるけど、
苦しい思いするなら効いてもらわないとー!

2月23日抗がん剤2日目
もう、無理ーーー!
って言いたいくらいきつい!

ほんっとに体が重くて
(40kgまで落ちてるのに!)
起き上がれない。

血圧低下中
ただでさえ低いのに。

トイレに行くのに壁伝い。

吐き気は、何度か強くなりかけた。
良いタイミングで薬を飲めたので少しのムカムカ程度で済んでいる。

心配しているピーピーは まだやってこない。

寝てるときに 不意打ちの痙攣
(いきなりビクッてなるやつ)
何度かきた。

あと、ほんと、ひたすらきつい。

更新も返信も無理かも

でも、やれるとこまで
やるよ。頑張るよ。

3月5日 少しづつ、前向きに
化学療法をうけてから、正直辛かった。
このまま死んでしまうのかと思うほど
辛かった。

今も副作用と格闘中。

退院してから、ずっと寝たきり状態。
歩くのもおぼつかない。
全身の倦怠感がはげしい。

病は気から。
気の持ちようかもしれない。

はやくこの状態から抜け出したい。
歩けるようになりたい。
動けるようになりたい。

抗がん剤の副作用は、
体に影響を与えただけでなく、
精神にも大きく影響した。

今の私は、精神的に少し病んでいる。

気持ちばかり焦る。

前向きに、前向きに。

4月4日仕事と闘病の両立
少しずつ、はらはらと舞う桜に
人生の儚さを重ねてみたり…

なーんてこともなく、
毎日のんびりと過ごしている。

そろそろ、仕事に行くかなぁ。

闘病生活と仕事を両立している人は
少なくない。
化学療法を始める前は軽く考えていた。

いざ、化学療法を始めると、
私には両立は無理だと思った。
副作用の辛さに、体も心も折れまくっていた。

副作用が抜け、体も心も元気を取り戻したかと思えば
それをあざ笑うかのような脱毛。

最近は脱毛も少し落ち着いてきた。
抜け毛はあるものの、一時期ほどではない。

春休みが終わったら、少しずつ仕事復帰してみようと思う。

体調は、ものすごく安定している。
食欲もある。
時々、自分が病気だということを忘れてしまうほど。

治療の継続は今のところ考えていない。
このまま治療をしなければ、
転移箇所を含め、腫瘍は大きくなっていくだろう。
いずれ、いろいろなところに不具合が出る。

治療をすれば、延命は可能かもしれない。
ただ、絶対ではないのだ。
そして、来るべき時は早かれ遅かれ必ずやってくる。

元気なうちにやっておきたいことは無いと言えば嘘になる。

自分がいつまで生きられるかなんてわからない。

もし、最期の日が明日や明後日なら
仕事に行くよりもやりたいことがある。

明日、明後日もよほどのことがない限り
笑って元気に過ごせそうだ。
一年後も、きれいな桜が見られるかもしれない。

ならば、働かなければ。
治療をしない選択をしても、通院し、検査は受ける。
生活もしていかなければならない。
もちろん、遊びにも行きたい。

そのためには、働かなければ。
何をするにしても、必要なお金。
長く生きるなら、その分稼ぐ。
何年も遊んで暮らせる余裕など私には無い。

仕事は好きだ。
嫌々行く仕事なら 復帰など考えなかっただろう。
気持ちも新たに、生きていく事を前提に
大好きなメンバーに囲まれて仕事をしようと思う。

6月1日 体調復活までのメモ
5月下旬 体調悪い。
動けないほどではないが、倦怠感。
仕事しばらく休む。

5月29日
夕方からちょいちょい出血
19時半頃、トイレで何かのかたまり産む。
出た、というより、産んだ感じ。

その後、体調良い。
5月30日、普通に元気。
出血も無し。

なんだったのか・・・(((( ;゚д゚)))

病院に行った方が良い、というアドバイスを素直に聞き入れ、
病院に電話する。

主治医の見解は
「腫瘍からの出血が体内に溜まり、それが凝固し、
一度に排出された可能性が高い」だった。

腫瘍からの出血は想定内だったようで
あまりにひどい場合は受診するよう言われた。

大きく納得した。
体は溜まった血液を排出したがっていたようだ。
排出しようと、頑張っていたのだろう。
体調不良の原因はそこにあったと思われる。
現に、排出後の体調はすこぶる良い。
超超絶好調である。

(中略)

余命3ヶ月の可能性もあるそう言われて3ヶ月ちょっと。
無事に過ごせたのは苦しかった化学療法、
支えてくれた家族、友人、励ましてくれた闘病仲間、
多くの人の力のおかげだ。
文字通り
「生かされている」

今まで以上に感謝の気持ちを
少しずつでも、お返しできたらいいな。

6月18日 腫瘍さん、勢力を増す
(前略)

いよいよ名前が呼ばれ、診察室へ。
いつもと変わらぬ笑顔の主治医。

前回、前々回と、時間の都合でできなかった内診とエコー。
羞恥心はほぼ無い。
気持ち悪さと痛さに耐え、頑張った。

結果
病巣は上へ奥へと大きく広がっていた。
そして、やはり腫瘍から出血があったようだ。
それは今もジワジワ止まらず、このままでは貧血になってしまうらしい。

止血のための対策として入院し、
動脈を塞ぐ処置を施すと良いそうだ。
せっかく動脈をあつかうので、
この機会に動脈から直接腫瘍への抗癌剤を投与すると良いとのこと。

はぁ、抗がん剤ですかー。

当時の辛かった記憶がよみがえる。

止血は、したいと思う。
貧血の辛さが続くのは困るから。
抗がん剤はどうだろう。
悩むところだ。

そして、余命の確認。
転移があれば、半年は難しい。
仮に転移がなくても、月単位の話になってきているらしい。

正直、びっくりした。
いや、初めからそう言われていたではないか。
でも、毎日なんの痛みもなく過ごしてこれた。
このまま、何年も生きられるのだと思い込んでいた。

現実はそう甘くはない。
ステージWBというのは末期ガン。
統計的に、余命が長くないのが末期ガンなのだ。
わかっていたはずだ。
頭が、心が、考えないようにしていただけにすぎない。
これが、現実なのだ。

このブログを見ていてくださった方はおわかりだと思うが、
ここ最近は本当にお気楽な生活だった。
闘病記事もなく、なんの情報もお伝えできなかった。

今日、ある意味事態が急変したのだ。
実際には急変してはいないのだが、私の心が、急変したのは事実。

明日になれば、少しは心の整理もできるかもしれない。
考えが変わっているかもしれない。

こんな私をどうか最期までしっかりと見届けていただきたい。

長くなりました。
とりとめのない乱文を最後まで読んでくださってありがとうございました。

6月21日 CT結果
昨日はCT検査だった。
もちろん、お約束の造影剤つき。
でも、自分の体がどんな状態にあるのか興味津々だったので、
頑張って受けた。

主治医が驚いていた。
首のリンパ節は、癌がかなり縮小している。
たった一回の抗がん剤でこんなに効果があるのは初めて見た、と。
私 「たった一回で辞める人がいないからでしょう?」
医 「まあそうですね(苦笑)」
私 「このまま様子みてみます?データがとれますよ?」
医 「だめです(笑)」

お腹の中のリンパも縮小していたようだ。
ただ、原発の子宮は前述の通り増大していた。

日程を調整し、7月2日から入院することになった。
動脈を塞ぐ処置を施してもらう。

その動脈から直接抗癌剤を入れて治療をする。
腎機能が落ちるのを防ぐため点滴で水分を多く入れ、抗がん剤の排出を促す。

今回、動注を決意したのは止血効果が長く持続することと、
前回の抗がん剤の効果が認められさらに直接病巣に投与するので、
さらなる効果が期待でき、
◎夏を元気に乗り切れる
と聞いたから。

ここは決断に大きな影響を与えた。
子供たちと過ごす長い休み。
当初は春休みが最後になると思っていた。
夏休みには、元気に動ける可能性は低いと思っていた。

それが、今、夏休みも元気に過ごそうとあがいている。
人間なんて欲張りな生き物だ。
自然に任せたいなんて言っておきながらちゃっかり治療を選択している。

だって、体が、心が、生きたいって言ってるんだもん。

夏休みはしっかり遊びたい。
ほんとうに最後の長い休みになるだろうから。
そして、夏休みが明けたら9月初旬には体育祭が待っている。
最後の体育祭になるならばしっかり目に焼き付けておきたい。

こうして、少しずつ、だましだまし延命していくはめになるのだろう。
予定なんて、ひとつ終わればまたひとつ、次の予定が待っている。

頑張れるところまで、頑張ってみよう。

根本は変わらない。
体と心の声に耳を傾け自然に身を任せて生きる。
自分を信じて自信をもって生きる。

注射の痛みや、抗がん剤の副作用
怖い。不安。

それに勝る生への欲望。

そして、ちっぽけな存在に大きな力を与えてくれる周囲の励まし。
ありがとうございます。

コメントやメッセージにどれだけ救われているか
その力は計り知れない。

人生の後半になってなお
こうして新たな出会いがあり、
その全てが素晴らしい縁だということに
感謝してもしつくせない思いがある。

ありがとう、ありがとう。





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